ナチュラルヒーリングPhoto/人待ち猫
自転車の横に、何かがあった。通り過ぎつつ、グレーまだらな置物?と思った。
いやそんなところに置物のわけはなく、猫だった。
この柄を「キジトラ」あるいは「ブラウンタビー」と呼ぶのが正式なのかもしれないが地域によっては「ヨモギ」と呼ぶこともある。他にもっと別の呼び方があるかもしれない。
で、この猫は何をしているかというと、「自転車のおばさん」を待っているのだ。いつもこの時間にこの赤い自転車に乗ってくるおばさんがおいしいごはんをくれるのでそれを待っているのだ。
ということはつまりもっと正確には、おばさんを待っているのではなくて「餌を待っている」のである。
いつもこの時間に、と書いたが彼ら彼女らが腕時計をしているのを見たこともないし、公園のあちこちにある大きな時計の針が読めるわけでもないに決まっている。
よほど確かな「腹時計」が備わっているものと見える。
また、この赤い自転車と書いたけれども、犬は色があまり見分けられないというのが通説だが猫は違うのだろうか?
自転車を目で見て「この自転車は赤いからいつものあのおばさんの自転車だ」と判別できるのか?
いや、ネットの記事や動画で、飼い犬や飼い猫が家人の車の音や足音などを聞き分けて、帰宅を待ち構えて大歓迎する、というのがあるから、色や外見、シルエットなどの視覚情報で判断しているわけではなくて、音やにおいなど複合的総合的な情報で判別している、ということなのかもしれない。
そして彼か彼女か知らぬがこの猫というものは、私などが通りかかっても知らん顔でそれこそまるで置物のように微動だにしない。
いや、もちろん、近寄って行けば逃げるのだろうが、そうでなければ私など吹き過ぎる風のごとくで、何の関心も示さない。つまりひたすら「餌を待っている」のである。
写真ではややわかりにくいが、この猫も左の耳の先を浅く切り取られいて、いわゆる「さくらねこ」なのだった。つまりは、いわばごはんだけが楽しみで生きている、捨てられた猫だ。
それを思うと、見た目がかわいいとか、それなのに自分には愛想もなくてつまらぬとか、そういうこととは違う気持ちにさせられもするのである。
A.T.迦楼羅
ジオマンシー(ゲオマンシーともいう)占い、西洋占星術、易占いなど、世界各地に古くから伝わる占術の研究者であり、心理カウンセラー、エッセイストとしても多方面で活躍中。
スピリチュアルカウンセラー育代オフィス所属
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