LIFESTYLE/枯れ木

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枯れ木、とはいうが、枯れてしまって命を失った木ではない。
冬になって葉が落ちた、落葉樹だ。
木のこの姿の別の言い方として「冬枯れ」「冬木」「裸木」「寒樹」などあるそうだ。

わたしたちのまわりにはこういう木が普通に、どこにでもある。それは晩秋から春先までの見慣れた風景だ。
それを、改めて、じぃっと見てみると不思議な気持になる。
暖かい季節にはあれほど繁っていた青葉が全部黄色く赤くあるいは茶色くなったあげくに落ちてしまい、丸裸の枝と幹だけになってしまっている。これでは、とても生きているようには見えない。
もうだめだ。死んでしまった。生き返らない。もはや未来はない。そう思える。

ところが、時が移ってのちよく見ると枝には小さなコブみたいなものができている。
それは、木の種類によっては葉の芽だったり、コブシやモクレンや梅だったら花芽だったりするのだ。
落葉樹とはそうやって冬の間ひそかに復活の時を待っているのだ。死んだふりをしながら。
そう考えると、とても不思議で神秘的なことだと思える。

科学を知る現代の人間でもそのような感想を抱くのであるとすれば、古代の人々の目にはこういった木の様態はどう写ったことだろう。
もしかしたら、死せるものの復活、という願いに重ね合わせて見たかもしれない。
つまり、葉を落とした枝と幹、それがそこにあるからこそ、また再びそこに魂が宿り生命が復活するのだ、という風に読み取ったのではないか。
そうしたことが、例えば古代エジプトのファラオをミイラにして復活を祈念する、といった文化を形成する発端の一つであったかもしれない。

…いや、古代エジプトに落葉樹があったものか、木の葉舞い散る秋が訪れるような四季があったかどうかさえ、知らないのだが。

わたしたちのまわりにはこういう木が普通に、どこにでもある。それは晩秋から春先までの見慣れた風景だ。
それを、改めて、じぃっと見てみると不思議な気持になる。
暖かい季節にはあれほど繁っていた青葉が全部黄色く赤くあるいは茶色くなったあげくに落ちてしまい、丸裸の枝と幹だけになってしまっている。これでは、とても生きているようには見えない。
もうだめだ。死んでしまった。生き返らない。もはや未来はない。そう思える。

ところが、時が移ってのちよく見ると枝には小さなコブみたいなものができている。
それは、木の種類によっては葉の芽だったり、コブシやモクレンや梅だったら花芽だったりするのだ。
落葉樹とはそうやって冬の間ひそかに復活の時を待っているのだ。死んだふりをしながら。
そう考えると、とても不思議で神秘的なことだと思える。

科学を知る現代の人間でもそのような感想を抱くのであるとすれば、古代の人々の目にはこういった木の様態はどう写ったことだろう。
もしかしたら、死せるものの復活、という願いに重ね合わせて見たかもしれない。
つまり、葉を落とした枝と幹、それがそこにあるからこそ、また再びそこに魂が宿り生命が復活するのだ、という風に読み取ったのではないか。
そうしたことが、例えば古代エジプトのファラオをミイラにして復活を祈念する、といった文化を形成する発端の一つであったかもしれない。

…いや、古代エジプトに落葉樹があったものか、木の葉舞い散る秋が訪れるような四季があったかどうかさえ、知らないのだが。

A.T.迦楼羅
ジオマンシー(ゲオマンシーともいう)占い、西洋占星術、易占いなど、世界各地に古くから伝わる占術の研究者であり、心理カウンセラーとしても多方面で活躍中。
スピリチュアルカウンセラー育代オフィス所属
https://www.ikuyo.co.jp/top.html

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