ナチュラルヒーリングPhoto/明治は遠くなりにけり

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明治は遠くなりにけり

「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と俳句に詠んだのは、中村草田男(1901-83)。
この句は1931年(昭和6年)の作で、明治が終わった1912年(明治45年)から20年ほど後のことだ。
何となく、老境に至った作者がいまや遠い明治時代に懐かしく想いを馳せているかのようにも読めるが、実は、上記の年代によって計算すると作者30歳ころの歌であるのだ。まだ若いのに、自分の中に厳然としてある「明治」の体験・体感・記憶と、作句当時の現実とが乖離しており、それを「遠くなりにけり」と慨嘆に及んだ、ということである。

個々人の実際の記憶体験で言えばそういうショックなことなのかもしれないが、明治時代を百年も前にする現在であっても街を歩くととんでもないところで「明治」を目にしその時代の人々の暮らしを不意に強く意識させられることがある。

写真はそうしたものの一つ。
通りかかったところに大きな石碑があるのに気づき、ふと見たら、「日露戦争」と刻まれていたのだった。
「日露戦争」とは、NHKのスペシャルドラマにもなった司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれたところの1904年(明治37年)2月から1905年9月にかけてかつて「大日本帝国」と称した我が国と皇帝ニコライ二世を戴く「ロシア帝国」との間で行われた戦争であった。
今からちょうど120年の昔の出来事だ。
その120年前の、いま自分の身の回りにいる人いや日本中の誰もが直接には絶対知らないような、何かの本とかにしか書かれていない、そんな昔の「歴史上の出来事」がくっきりと石に彫られて街角にどーんと突っ立っていて、いまは「市」になっているが明治のころは「村」だったその地から出征(戦争に行くこと)した人たちの名前が刻まれている。
もしかしたら地元育ちの人たちはそこに並んだ名前を見て同じ苗字が見つかったらすこしドキッとするのではないか、同じ姓の人がいたけど親戚だったのかな?とか、帰ったら家で尋ねたりもするかもしれない、と思ったりもする

見過ごせば何でもないことだが、見て読んで意味を知って感じれば、通りすがりの他所の人間であったとて今後の生きざまに少しは影響・関わりが現れたりもするんじゃないかなあと思うことだった。

A.T.迦楼羅
ジオマンシー(ゲオマンシーともいう)占い、西洋占星術、易占いなど、世界各地に古くから伝わる占術の研究者であり、心理カウンセラーとしても多方面で活躍中。
スピリチュアルカウンセラー育代オフィス所属
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